水上勉氏の 「雁の寺」では、臨済宗のお寺の修行僧が、住職を殺すという、修業とは正反対の結果が描かれており、その恐怖は檀家の葬式にかこつけて、棺の中に殺した住職の死体をもう一体隠して葬ることで、一層なまなましい実感として襲ってくる。その修行僧の心の様々な鬱屈とした憎しみが、殺意となって闇を駆け抜ける。乞食の母の私生児という不幸な出生、肉体的なコンプレックス、軍事教練と寺の修行の苦しさ、そう言った苦しみが得体の知れない憎悪となって、住職を襲うのである。その救い難い殺意に、修行の空虚を読みとる者もいるだろう。この得体の知れない闇は無明そのものである。しかし、仏縁とは不思議なもので、「雁の寺」で作家として認められ、後年水上氏は病に倒れ、少年時代に修行した禅寺の食事法を摂るために軽井沢に移っている。
「越前竹人形」は泥に咲く蓮の花のように、苦涯に身を堕した女が、竹細工の職人に救われて、薄幸な人生を終えるのを、哀しくも美しい物語として描かれている。人間の業の深さを思い知らされると同時に、人間の美しい情愛溢れる物語である。
水上氏が福井県大飯町に生まれ、9才にして、京都の臨済宗のお寺に小僧として修行に出されるが、あまりの厳しさに出奔する羽目になる。様々な職業を遍歴し、会社経営も思うに任せなかったが、この「雁の寺」によって、作家として成功する。後年、氏が故郷に帰ると、原発が林立し失望を深くしたと云う。氏の原発に対する懸念は、3年前の福島の原発事故としてあらわれてしまった。芸術家の直感とはおそろしいものである。臨済宗のなせる力かもしれない。原発はもはや我々日本人にとって、原罪のように重くのしかかっている。
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